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盛会のうちに終了しました。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。大会は、12月1日(土)に大阪大学で開催いたします。
日本映画学会 第1回例会 今年度から、12月の全国大会(今年は1日に大阪大学で開催予定)に加えて、6月に例会を行うことになりました。 以下のご案内はPDFでも公開いたしております: 大会プログラム/会場アクセス また、準備の都合上、出席(例会と懇親会)の場合は、6月16日(土)までに事務局メールアドレスまでお知らせいただければ幸いです。 日時: 2012年6月30日(土曜日)13時~ 場所: 国士舘大学世田谷キャンパス 梅ヶ丘校舎B203教室 (〒154-8515 東京都世田谷区世田谷4-28-1 ) ・小田急線梅ヶ丘駅下車、徒歩9分 ・東急世田谷線松陰神社前駅または世田谷駅下車、徒歩6分 ・渋谷駅南口バス乗場18番「世田谷区民会館行」バスで終点下車、徒歩1分 国士舘大学アクセスサイトURL: http://www.kokushikan.ac.jp/access/setagaya.html *会員以外の方も、試しにご参加ください。 ☆駅までのアクセス ![]() ☆駅からのアクセス ![]() ≪タイムテーブル≫ 12:30 受付開始 総合司会 山本佳樹(副会長、大阪大学) 13:00 開会の辞 発表30分・質疑応答10分 <第1セッション> 司会 塚田幸光(関西学院大学) 13:10-13:50 アダプテーションをめぐるポリティクス ― 『華麗なるギャツビー』の詩学 杉野健太郎(信州大学) 14:00-14:40 「ハリウッド映画」形成期における衛生映画 梅本和弘(京都大学大学院博士後期課程) <第2セッション> 司会 佐野正人(東北大学) 15:00-15:40 「帝国の朝鮮映画」における二重言語問題と女優の表象 ― 大東亜映画圏の「国際的女優」はいかに誕生するか 李敬淑(東北大学大学院博士後期課程) 15:50-16:30 ロード・ムーヴィーが描く「ネイション」の輪郭 ― 『練習曲』と『遠い道のり』における台湾人アイデンティティーの想像 藤城孝輔 <第3セッション> 司会 板倉史明(東京国立近代美術館フィルムセンター) 16:50-17:30 15年戦争下の幕末映画『江戸最後の日』試論 ― 稲垣浩文庫を活用して 羽鳥隆英(早稲田大学演劇博物館助手) 17:40-18:20 溝口健二と戦後民主主義再考 ― 占領下の日本映画界における「女性解放映画三部作」の位置づけ 金普慶(筑波大学大学院博士課程) 18:30 閉会の辞 田代真(国士舘大学、開催校責任者) 19:00~ 懇親会 スカイラウンジ(梅ヶ丘校舎10階) 懇親会費4千円 *なお、日本映画学会は、経費節減のため、プログラムや会場の地図等は郵送いたしません。必要な情報は、本サイトの情報をプリントアウトする、携帯電話に送る、などして当日御持参下さい。 【発表概要】 <第1セッション> 司会 塚田幸光(関西学院大学) 13:10―13:50 ●アダプテーションをめぐるポリティクス ― 『華麗なるギャツビー』の詩学 杉野健太郎(すぎのけんたろう、信州大学) アダプテーション=あるミディアムによる物語を別のミディアムによる物語へと移すこと。とりわけ、文学と映画との間のアダプテーション研究では、双方ならびにそれらのミディアム特性に精通した研究者の少なさが研究の貧困さと直結してきたと言えるのではないだろうか?取り立ててすぐれているとは思えない小説を映画が映画史に残る映画にしてきたことは否定できないだろう。それにもかかわらず、とりわけキャノンと呼ばれる名作小説の映画化は、コピーと見なされ、とりわけ「原作への忠実さ(fidelity)」だけが判断基準であるかのように、低い評価を与えられることが多かった。 F・スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby, 1925)がアメリカ文学のキャノンで20世紀のナショナル・ナラティヴの一つであることに異論はないだろう。『グレート・ギャツビー』は、現時点で3回映画化され(テレビドラマを含めるとさらに多い)、バズ・ラーマン監督/レオナルド・ディカプリオ主演版が2012年12月に公開予定である。本発表は、『グレート・ギャツビー』の1974年の映画化『華麗なるギャツビー』(The Great Gatsby, 1974;ジャック・クレイトン監督/フランシス・フォード・コッポラ脚本/ロバート・レッドフォード主演)を取り上げ、両者のミディアム特性および語りと物語内容を詳細に比較分析する試みである。 コッポラに脚本家を取って代わられたトルーマン・カポーティなら決して外さなかっただろう、語り手兼登場人物のニックのジェンダー・トラブル、テクストでたびたび示唆されるギャツビーの人種とエスニシティといった、最近のギャツビー批評で取り上げられるような問題は、1974年の映画では採用されていない。本発表では、小説と比してジェンダー・バイアスの少ない語りと物語内容によって、この映画が、アメリカの夢の幻滅の完結性(closure)の物語になっていることを明らかにする予定である。 14:00―14:40 ●「ハリウッド映画」形成期における衛生映画 梅本和弘(うめもとかずひろ、京都大学大学院人間環境学科博士後期課程) 1900年代末から10年代後半までの「古典的ハリウッド映画」の形成期において、主流の映画産業は、映画の文化的地位向上という目的から、また慈善民間団体や行政機関からの要請を受けて、アルコール中毒や結核や性病などの「社会的病気」の危険性や予防を教示する衛生映画を多く製作した。この時期の衛生映画は、それまで専門家だけに流通していた細菌学などの医学・衛生に関する科学的知識を教えるだけでなく、道徳的かつ娯楽的物語の形式を持ち、また出産や裸体や身体の奇形などのセンセーショナルな描写を含んでいたために、商業的映画館で幅広い層に受容された。このような衛生映画は時代背景である社会改良の衝動から誕生したものであったが、衛生映画のなかには性的刺激を促すなどの理由から弾劾・検閲されたものもあった。しかし、結局は、衛生映画における社会悪の「真実」を暴露し人々に教育する試みは、害のない娯楽のみを提供する主流のハリウッド映画産業から排除される結果となった。 本報告では、衛生映画を生みだしたアメリカ革新主義時代の社会状況を考察した上で、具体的に、バイオグラフ社製作のアルコール中毒予防映画、エディソン社製作の結核予防映画、第一次世界大戦期の性病対策の映画を取り上げ、「古典的ハリウッド映画」形成期の衛生映画の特徴や役割を分析する。また、誰にでもわかる「普遍言語」で科学的事実を教示しているとされた衛生映画が階級や人種と深く関わっていたことも検証する。 <第2セッション> 司会 佐野正人(東北大学) 15:00―15:40 ●帝国の「朝鮮映画」における二重言語問題と女優の表象 ― 大東亜映画圏の「国際的女優」はいかに誕生するか 李敬淑(いぎょんすく、東北大学大学院国際文化研究科博士後期課程) 戦時下の日本帝国は、皇民化政策の重要な手段の一つとして、朝鮮や台湾などの植民地地域で「国語普及政策」を進めた。ゆえに、朝鮮映画界においても「国語(日本語)映画」の製作が求められ、当時朝鮮側でつくられた国策映画には「日本語=国語」で演じる朝鮮人俳優スター達の姿が数多く残されている。 しかし、川崎陽が指摘したように、「単純なる言語としての日本語」、即ち能力としての「日本語」と、「「国家」、「国民」に対し責任を負う言語としての日本語の精神的な側面」を強調する「国語」とは、合致するものとは必ずしも言い難い (川崎陽「植民地末期日本語普及政策」『日帝植民地を読み直す』へアン、2007) 。本発表では、この「(母語でない)国語=日本語」の問題を取り上げ、それと戦時下の朝鮮映画界における植民地女優の表象なるものがいかに関わっていたのかについて、女優文芸峰(ムンイェボン)の事例を中心に検討する。 日本映画界の「イベント」ともいえる、ファンク監督の『新しき土』(1937)を通して原節子が「国際的日本人女優」なるレッテルを貼られたように、文芸峰は、ファンク博士の同僚スタンバーグ監督の朝鮮訪問(1936)によって、朝鮮映画界の「国際(=内地)進出」という夢を背負われたスター女優である。「国際的な帝国の女優」を夢見た「半島の女優」、そして彼女の持っていた致命的な欠点――国語(日本語)使用の不自由さ――がどのような関係に置かれていたのかを明らかにしたい。 15:50―16:30 ●ロード・ムーヴィーが描く「ネイション」の輪郭 ― 『練習曲』と『遠い道のり』における台湾人アイデンティティーの想像 藤城孝輔(ふじきこうすけ) 陳水扁が総統を務めた民進党政権(2000-2008)は、李登輝政権時代(1988-2000)の台湾ナショナリズムを引き継ぐ形で台湾が事実上の国民国家であることを強調する政策を推し進めた。それは2000年以降の台湾映画にも色濃く反映されている。2007年に公開された2本のロード・ムーヴィー、『練習曲』(陳懐恩監督)と『遠い道のり』(林靖傑監督)では、主人公の台湾一周自転車旅行、そして「フォルモサの音」を収集する主人公をはじめとする登場人物たちの東海岸への旅を通して、それぞれ台湾人アイデンティティーの再確認、あるいは想像が行われる。これらの旅においては原住民の存在や日本による植民地体験が参照点として示され、中国本土との差別化がなされる。また、台湾語の使用や歴史表象を通して台湾人アイデンティティーの表現を行った侯孝賢作品に代表される80年代の台湾ニューシネマの継承者であることを自ら誇示するかのように、ニューシネマへの積極的な言及が作中には見られる。本発表ではロード・ムーヴィーというジャンルにおいて特徴的なランドスケープの表象とナショナリズムの関連を踏まえた上で、これら2作品がたどる旅におけるナショナル・アイデンティティーの形成について考察する。さらに、台湾ニューシネマでは取り上げられることの少なかったグローバリゼーションの影響や原住民の表象が2000年代以降の台湾人アイデンティティーの想像の中で果たす役割を検討する。 <第3セッション> 司会 板倉史明(東京国立近代美術館フィルムセンター) 16:50―17:30 ●15年戦争下の幕末映画『江戸最後の日』試論 ― 稲垣浩文庫を活用して 羽鳥隆英(はとりたかふさ、早稲田大学演劇博物館助手) 近代的芸術である映画と近代的制度である国民国家との関係性を巡る考察は、今日の映画学共同体が直面する重要な課題のひとつである。日本映画史の場合、近代日本の創世神話である幕末=明治維新が、銀幕上に如何に表象されたかを巡る問いは、まさに発せられ始めたばかりである。 今回の発表では、近代日本の転回点である15年戦争(1931年‐45年)の渦中で、幕末=明治維新を描いた映画、すなわち幕末映画が如何なる展開を示したかについて、同時代的に特に好評を得た稲垣浩監督『江戸最後の日』(日活京都製作、1941年、阪東妻三郎主演)を中心に検討する。実際、随筆「戦争責任者の問題」(1946年)の著者として知られる伊丹万作の脚本を基に、『無法松の一生』(大映京都製作、1943年、阪東妻三郎主演)を監督した結果、ときには反戦的な映画作家とも評価される稲垣であるが、彼の15年戦争下の作家的経歴は、非当事者的なメロドラマ的二元論(例えば体制的/反体制的)などに安易に還元され得る訳ではない。今回の発表では、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館に収蔵される稲垣浩の旧蔵資料、通称《稲垣浩文庫》の中から、『江戸最後の日』の台本や演出覚書など、取り上げられる機会に乏しい一次言語資料を活用しつつ、1920年代以来、新しい時代劇の創造を牽引した映画作家と日本映画史上に掛け替えのない主題である幕末=明治維新とが、15年戦争下で果した遭遇の一部始終を仔細に追跡する。 17:40―18:20 ●溝口健二と戦後民主主義再考 ― 占領下の日本映画界における「女性解放映画三部作」の位置づけ 金普慶(きむぼぎょん、筑波大学大学院人文社会科学研究科博士課程) 日本映画史において「巨匠」と呼ばれる溝口健二であるが、敗戦後に彼が監督した一連の民主主義啓蒙映画、すなわち、婦人解放をテーマとする通称「女性解放映画三部作」に対する評価は決して高いものではなかった。民主主義啓蒙映画は、軍国主義と封建制に縛られていた日本人の「思想」を「再教育」する目的で製作されたものであるが、その真の意図は、帝国時代の負の過去と敗戦後の日本社会に残された問題を隠蔽するとともに、戦後世界のリーダーとなるアメリカによって建設される「平和と民主主義」の「日本」という幻想を大衆レベルで普及させることにこそあった。そして、このようなイメージづくりの主役は、ヒロインたちによって代表=表象される、新しい社会再建のシンボルとしての「主体的」女性であった。占領下の溝口映画が発表当時評価されなかった大きな理由としては、彼の描くヒロインが啓蒙的色彩の濃い「近代的女性像」にそぐわないものであったことが挙げられる。また、その要因として、彼が時代の変換に迅速に対応できなかったからだという否定的な評価も多くなされている。しかしながら、それは、この時代の溝口が「近代的な女性像」を新たに構築するという啓蒙映画の企図を知らなかったことも、彼自身にその意図がなかったことも意味するものではない。むしろ、占領期の「三部作」には、溝口なりの「民主主義」や「自立的女性像」に対する解釈やその同時代的意義を見出すことができるといえる。本発表は、この点を踏まえ、「三部作」の一つで、戦後民主主義の歴史的モデルとして、福田英子を中心に自由民権運動にかかわった人物たちを描いた『我が恋は燃えぬ』(1949)に着目する。そのうえで、当時の日本映画界の置かれた状況を視野に入れつつ、テクスト分析を通して、「失敗作」であると思われてきた溝口の民主主義映画がもつ意義を再検討することを目標とする。
by jscs
| 2012-06-30 21:00
| 大会・例会
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